花渡る海
2014年01月12日 (日) | 編集 |
◇ おしらせ

昨年11月~12月に行われた「あみぐるみコレクション2013」の
テーマ作品コンテストの結果が発表になりました。

入賞作品をぜひ見に行ってみてくださいね。
みなさんが気に入った作品、載ってるかな(^^)?

あみぐるみコレクションのサイト→ http://collection.amigurumi.jp/
テーマ作品コンテスト結果発表はこちら→http://collection.amigurumi.jp/?page_id=194

   *

「おろしや国酔夢譚」以来、読書の中心が
"漂流記" になっているわたし。

光太夫の物語のように史実に基づいて書かれた小説も、
現代の実際に漂流や遭難を経験された方の体験記も、
どちらも興味深く読んでいます。

ここ最近は吉村昭さんの「花渡る海」という小説を
読んでいました。

佐野三治さんの「たった一人の生還」の巻末の解説を
吉村さんが書いておられて、そこにご自身が
江戸時代の漂流事故をモチーフにした長編小説を書いたことがある、
と載っていたのです。

何作かある中から、図書館にあった1冊をまず借りました。
これは光太夫のように難破した船が黒潮でロシアへ運ばれ、
紆余曲折の末帰国を果たした 久蔵 という水夫の物語。

 kyuzo01.jpg

表紙のデザインは、帯がかけられることを意識しているのかな。

今日は覚書として、この本の感想を書いておきたいと思います。
ブログにちょうどいいカテゴリがなくて
今までテキトウなところを設定していたのですけれど、
いくつかそんな記事も増えてきたので
さっき新しく「読書記録」というカテゴリを作りました。

読書が趣味ではない方は、読み飛ばしてもらえればと思います(^^)

   *

大黒屋光太夫が難破したのは1782(天明2)年、
久蔵の遭難は1810(文化7)年なので、
30年ほどの年月の差があります。

ただ、光太夫が流れ着いたのは絶海の孤島とでも言うべき
アリューシャン列島のアムチトカという島で、
久蔵が流れ着いたカムチャッカ半島へ渡るまででさえ
4年を費やしています。

ロシアを縦断するペテルブルグまでの果てしない移動の末
光太夫が帰国したのが1792(寛政4)年なので、
20年ほどの違いということになります。

なので「花渡る海」にもちらりと
光太夫や仲間の新蔵さんのこととかが出てくる件があって、
「おろしや国」を読んだ自分には面白く読めました。

実際、光太夫を手厚く保護したラクスマンは
日本へ送り届けた際に通商を結ぶ許可証を手に入れています。
これを元に国交を開きたいロシア側と
鎖国を貫きたい日本との間では軋轢が生じていて、
久蔵の時代にも影響を及ぼしています。
彼が帰国できたのは、2国間の取引の素材になったからでした。

小説の内容面では、「おろしや国」は漂流の部分の描写は少なく、
漂着後、そして果てしない旅程の方にページが割かれています。

「花渡る海」は、漂流から地元民に発見されるまでの彷徨の
段階も詳しく描かれていました。

久蔵が乗っていた船は3ヶ月間洋上を流されて
その間、飢えや渇きに苦しむことはあっても
16名の乗組員は欠けることなく生存していました。

けれども、ようやくたどりついた陸地
(彼らは蝦夷だと思っていた)に上がり、
民家をめざして雪原を歩いたわずか一昼夜の間に
7名が凍死してしまったそうです。

流れ着いたところが人里離れた場所であったため、
現地のロシア人に巡り会い救われるまでに
さらに2名の命が失われました。

久蔵が命拾いしたのも本当にギリギリの
奇跡的なタイミングであったようです。

その後村人からは好意的に迎えられ、
国としての思惑があったにせよ官費が支給され
暮らしに不自由することがなかったのは、
光太夫たちの状況と同じです。

万感の思いで帰国した久蔵に対する
この国の仕打ちも光太夫の時から変わっておらず、
またしても悲しい思いがしました。

だって、故国の土を踏んで思わず膝をついた久蔵に
まずしたことが、後ろ手に縄を打つことです。
この国のそういうところ、ほんとガッカリ。

27日間の漂流の末、英国船に救助された佐野さんは
船長に「おまえはVIPだ」と言われ、
ニコニコと集まってくるフィリピン人のクルーたちと
温かいひと時を過ごします。

 kyuzo02.jpg

これも最近読んだ本、
「大西洋漂流76日間」の著者、スティーブン・キャラハンさんが
流れ着いたのは、カリブ海のマリー・ガラント島(フランス領)。

この島での滞在中、
「人々のおおらかさが胸にしみる」
「消毒薬の臭いのするきゅうくつなアメリカの病院ではなくて、
どんなに幸せなことかと思う」
と書いてあるように、身体的な回復だけでなく
心も癒されていったことが伝わってきます。

わずか200年前のこの国は光太夫や久蔵に、それができなかった。

あれから200年経って、
今の日本なら、もっと違うことができるのかなぁ?

ところで、光太夫が親交を深めたラクスマンは学者でしたが、
久蔵にとってそれにあたるミハイラというロシア人は、医師でした。

カムチャッカ半島を彷徨した際、雪に埋まった久蔵は
足を凍傷に侵されてしまいます。
そのため一度久蔵は帰国しそびれるのですが
(「病人は船に乗せられん」と言われた)、
反面ミハイラ医師との親交は深まります。

傷が癒え、義足も作ってもらって回復した久蔵は、
ミハイラ医師の往診や事務を手伝うようになります。
そこで彼が出会ったのが天然痘の種痘の技術です。

多くの人々の命を救う可能性のある画期的な技術に感動した久蔵は
帰国の際、疱瘡種とランセットを大切に持ち帰ります。

日本に初めて種痘苗をもたらした人物として、
吉村さんは久蔵を物語の主人公として取り上げたのですね。

帰国後の取り調べの際、久蔵は藩主にその効果を進言しますが
一笑に付され、
没収された器具一式が久蔵の手に戻ることもありませんでした。

物語の最後には、久蔵の帰国から約20年後の天保6(1835)年、
彼が戻った故郷の川尻浦で天然痘が大流行して、
200戸ほどの村のうち、
170戸あまりの家がことごとく命を失ったことが書かれています。

人々は魔よけのお札を拝み、厄除けとして顔や手足に墨を塗り、
赤い布を身に着け神仏に祈ったそうです。

久蔵が海を越えて持ち帰った花は、
花開くことはなかったのですね。

光太夫の物語と同様、せつない読後感の小説でした。

そうそう、この本にも何度も「ウラー、ウラー」という
ロシア語が出てきました。
チェブラーシカのキットで唯一覚えたロシア語の知識が、
ささやかにまた活きたのでした(^^)

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  テーマ:読んだ本の感想等 ジャンル:小説・文学
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