おろしや国酔夢譚
2013年09月05日 (木) | 編集 |
わたしがとっているチェブラーシカのクロスステッチは、
正式には「ロシア語がぐ~んと身近になるプログラム」というキット名で、
カタログには
「刺しゅうを楽しみながら、ロシアと仲よしに!」
と書いてあったりします。

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ロシアって地理的にはかなりご近所の国なのに、
確かに身近な感じではないですね。
そのぶんエキゾチックな魅力があります。
このキットの特徴のキリル文字も、とても素敵に見えますね。

刺しゅうを楽しむだけで仲良しになれるかどうかはさておき、
ちょうどこのキットをとり始めた頃に図書館で借りて読んだ、
1冊の本があります。

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「おろしや国酔夢譚」、井上靖さんの本です。

江戸時代、乗っていた船が難破して遥か北の果ての小島まで
流されてしまった大黒屋光大夫が、何とかして故郷へ帰ろうと
極寒のロシアを転々とする、史実に基づいた小説です。

「漂流記」が好きな椎名誠さんがおススメされていたので
手に取ったのですが、これがとても面白かったです。

光太夫ら17人が乗った船が伊勢を出港したのは、天明2年(1782年)12月。
駿河湾沖で嵐に遭い舵を失い、半年以上もの間、漂流します。
翌年7月の終わり、やっとのことで流れ着いた陸地は
日本からはるか北の、アリューシャン列島のアムチトカ島という島でした。

この島がすごく過酷な環境で、
冬の寒さの厳しさはもちろんのこと、
あまりの強風で樹木は1本も生えないほどとのこと。

島の住民たちはまるで化け物のような異様な風体で(と書いてある)、
強風を避けるため、土に穴を掘って、その中で暮らしているのだそうです。

光太夫たちが乗ってきた船は、漂着の翌未明、真っ二つに割れて
壊れてしまい、船を修繕して島を出る望みは断たれます。
天明7年7月にロシア人の力を借りてやっとのことで島を出るまで、
実に4年半、この島に閉じ込められることになるのでした。

その間、7名の仲間が命を落とし、漂流中に亡くなった一人を加え、
生き残った仲間はたった9名になっていた…というところからも、
この島での暮らしの過酷さがしのばれます。

アムチトカ島は現在はアメリカ領になっていて、
1960年代から70年代にかけて、地下核実験場にされたそうです。
だから今では、人は住んでいません。
許可なく島へ入ることもできないようですが、
シーナさんは20年くらい前に、光太夫の足跡をたどる旅をするという企画で
この島を訪れたことがあるんだそうなんですよね。
(「シベリア追跡」という本にまとまっています)

「おろしや国酔夢譚」を読んで、この島を見てみたいなぁと強く思ったので、
シーナさんのその旅が、DVDとかで出たらいいのになぁって思います。

「おろしや国酔夢譚」は映画化もされていて(1992年)、
そのDVDは図書館にあったので、借りて観ました。

大黒屋光太夫は緒形拳さんが、
仲間のひとり・庄蔵を西田敏行さんが演じてらっしゃいます。
アムチトカ島のシーンは、北海道の奥尻島で行われたそうです。

最初に載せた写真の本は、
いつでも再読できるように購入した文庫版なのですが、
その表紙にこの映画のシーンが使われています。
巻頭のカラー口絵には、何ページも写真が載せてくれてあります。

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先日、娘のお稽古の待ち時間に読もうと、何気なく借りた
シーナさんの「モンパの木の下で」という本は
週刊文春に1992年~93年にかけて連載されたエッセイを
まとめたものなのですが、その中の一編に、

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"妻と「おろしや国酔夢譚」の試写を見に行った"
という記述が出てきて、おお!と思ってしまいました。

さて、先ほど光太夫たちが4年半かけてやっと島を出た、と書きましたが、
その足で帰国できたわけではなく、
1ヶ月あまりの航海の末たどり着いたのはカムチャッカの港町でした。

ここから光太夫の、ロシアを横断する果てしない旅が始まるわけです。

21世紀の今だって気が遠くなるほどの距離を
江戸時代に生身で移動したというのがすごいです。
旅客機も鉄道もないわけですから、移動手段は馬橇(そり)なわけです。
昼夜兼行で大森林、大雪原の中をひた走り、
眩暈がして耐え難いと書いてありました。
たとえばイルクーツクからペテルブルグまでは、約1ヶ月で到着とのこと。

その旅の末、光太夫はついに、皇帝エカテリーナ2世に
ツァールスコエ・セロの夏の離宮で謁見することになるんです。
直々に、帰国の嘆願をする機会を得ることができたのです。

この時日本は鎖国をしていて、ロシアとは国交がなかったわけですね。
だから、漂流民たちの帰国は、単なる距離的な問題や
移動手段の算段の問題ではなかったのです。

映画では、実際にこのエカテリーナ宮殿で史上初のロケが行われたそうで、
ものすごく美しかったです。
江戸時代の日本人の目に いったいどう映ったろうというのは、
もう想像しきれないですね。

エカテリーナ2世を演じたのは マリナ・ヴラディという女優さんで、
謁見のシーンでの緒方拳さんのロシア語の美しさに感銘を受けた
というエピソードを読みました。

日本に帰りたいならば、まずはロシアという国を知ること、と
早々にロシア語やロシアの文化を学び始めた光太夫さながら、
撮影中、ロシア語のセリフのためにすごく努力をされたそうです。

それに比べて、わたしの不勉強さといったら( >o<)
1年キットをとってきて、何も身についていません。

あ、ただ、再読していてここ!

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ペテルブルグ滞在時に、光太夫がトルコへ出兵していく兵士たちの
行進を目撃するシーンですが、
沿道の群衆が叫ぶ「ウラー」「ウラー」という声は、
「ばんざーい」という意味ですね。

キットの8回目に出てきたので、再読時は意味が分かって
ニヤリとしちゃいました(^^)

このシーンでは光太夫の

「近く、この国にとっては、天下分けめの大きな合戦があるらしい」

なんていうセリフが出てきます。
美しいバロック建築の街並みの中で、
「もうじき沙汰があるに違ぇねえ」とか
時代劇みたいな会話が実際されていたんだろうなぁと思うと、
少し可笑しいですね。

この小説は 桂川甫周の「北槎聞略」をはじめとする
漂流民たちを記録した文書を基にして書かれたものですが、
参考文献は日本で書かれたものだけでなく、
ロシア側のものや、シベリアへ来ていたヨーロッパ人が
のちに自国で出版したものなど、
実に多くにわたって詳細に調べられています。

でもその膨大な調査の苦労をひけらかすこともなく、
単なる引用にもとどまらず、
ちゃんと物語として昇華されていて、
本当に感心…!でした。

馴鹿(となかい)、樅(もみ)、恰も(あたかも)など、
今だったら大概ひらがなかカタカナで表記されそうな言葉が
漢字で書かれているから 一見とっつきにくいのですけれど、
とても引き込まれて読むことができましたよ。

光太夫の帰国の願いが最終的に叶うかどうかは、
史実ですから、小説を読む前から知っていました。

なのに、小説の結末はあまりにも淋しく、
胸が痛くなりました。

わたしは人並みに、自分の生まれ育った日本への
愛国心を持っていると思いますが、
この時ばかりは、その器や気質が
本当にガッカリだなと思いましたね……。

ただその分、ロシアという国に対する印象は
とてもアップしました。
光太夫にとってキーパーソンとなるキリル・ラックスマン
という学者をはじめとするロシア人たちも、魅力的でした。

キットの方はさておき、
この本がロシアへの興味を深めるのは確かだと思います。

ちょっと前、Eテレ高校講座の「世界史」で
ロシア帝国の回 があったので、見てみたんです。

ピョートル1世が行ったロシア帝国の誕生から発展、
近代化とその問題点などがまとめられていましたが、
なんとそこに、「ロシア皇帝に面会した日本人」として
大黒屋光太夫のこともとりあげられていたんですね!

ちょっと嬉しかったです(^^)

受験で世界史をとる方は、その辺の理解の助けとして
勉強の息抜きに読むのもいいかもしれませんね。
合間合間に、当時の情勢についても触れられていますから。

この一年で最も感銘を受けた本なので、
今日はつれづれに感想をつづってみました。

チェブラーシカのキットは、最終回が既に届いています。

でも、終わっちゃうのが淋しい気分もあって、
「やろうかなー」
「どうしよーかなー」
と、まだ手をつけかねているのでした。

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  テーマ:文学・小説 ジャンル:小説・文学
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