ザネリ問題
2018年08月12日 (日) | 編集 |
「銀河鉄道の夜」について
もう少し書きたいことがあったので
書いちゃおうと思います。

きっかけは同書を読んだ娘の

「ザネリっていう女の子……」

という発言です。

銀河鉄道の夜の主人公はジョバンニ。
一緒に列車の旅をする友達がカムパネルラ。
ザネリは二人のクラスメイトです。

わたしはザネリは男の子だと思っていました。

だから娘の発言に「え?」と思ったわけです。
娘は
「だって、名前も女の子っぽい」
と言い、最後まで女の子だと思って読んだようです。

いやいやそれはないだろ……と思いつつ
ぱらぱらと読み返してみると、
どうも性別に関する記載はないんですよね。
ザネリに限らず、ジョバンニやカムパネルラ
についても「少年」とか「彼」と
表現されているところは見当たりません。

ただまあ、ジョバンニは自分のことを
「ぼく」と言っています。
「ぼく、牛乳をとりながら見てくるよ」など。

はるかぜちゃんのような「ボクっ子」キャラ
というのは今はありますが、
さすがに宮沢賢治の時代に
そんなトリッキーなことはしていないと思います。

バイト先の同僚から「虫めがねくん」という
あだ名をつけられていることから考えても
ジョバンニは男の子と考えて良いと思います。

カムパネルラも列車の中で
「ぼくもそう思っているよ」
などと言うので、同様に
男の子と考えて良いと思います。

対してザネリは、出番が多くないこともあって
自分の一人称を口にするセリフがありません。

授業で指名されたジョバンニが答えられず
口ごもった時に笑ったり、
「ジョバンニ、お父さんから、
らっこの上着が来るよ」
なんてからかってきたりする
まぁわりと「イヤなヤツ」として描かれている
キャラクタです。

わたしは男の子だと思いこんでいたけれど、
そう言い切れる決め手はないんですね。

男の子だと考えた方が自然だとは思います。
ザネリは他の級友たちを含め
カムパネルラと放課後当たり前のように遊び、
祭に一緒に行っています。

幼児くらいの年齢ならば
男の子と女の子が混じって遊ぶことも
おかしくないですが、
おそらくジョバンニたちは
今でいう小学校高学年~中学生くらいだと思います。

活版所で活字を拾うアルバイトをするくらいだから、
ある程度の漢字が読み書きできる年齢だと
考えられるからです。

このくらいの年代の子は、
男女混ざって遊ばないと思うんですよね。

でも逆に、冒頭の授業の場面では
こう描写されています。

「ザネリが前の席からふりかえって、
ジョバンニを見て、くすっとわらいました」

「くすっと」笑ったって、改めて見ると
むしろ女の子っぽい気もしてきます。
賢治さんの優しい文章の中だと
男の子の「くすっと」も問題なく成り立ちますが。

この表現で、娘は女の子だと
感じたのかもしれません。
「名前が女の子っぽい」という感想も、
考えてみたらグスコーブドリの妹は
「ネリ」という名前ですしね。

銀河鉄道は1924年~31年頃まで推敲が繰り返された
とされています。
戦前ですから、ジョバンニの通っていた学校は
男の子だけだった可能性も高いです。

男女別学が当たり前だったから、
賢治さんは特別ザネリの性別を記す必要を
感じなかったのかもしれません。

決定稿ではないから、未完成なだけかもしれない。

でも、あえて
どちらとも取れるように書いた可能性もありますね?
だとしたらそれはどんな効果を狙ったのでしょう。

最初に娘の「女の子」という解釈を聞いた時、
「え? 何言ってるの? ちゃんと読んだ?」
みたいに思ってしまったのですが、
よくよく読めばそれは否定できないし、
自分の解釈は思い込みにすぎないことが分かって
少々驚きました。
(娘には謝りました)

ザネリを女の子だと捉えると
ジョバンニをいじってくることにも
別の感情を想像することもできて
おもしろいです。

川に落ちたザネリを助けるため
カムパネルラが飛び込むシーンも、
別の色合いを帯びてきます。

娘のたった一言で
今まで見えていたものがガラっと変わって
とても不思議な体験でした。

にほんブログ村 ハンドメイドブログ あみぐるみへ



スポンサーサイト




  テーマ:文学・小説 ジャンル:小説・文学